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2013年6月24日月曜日

博多座だより~『小栗栖の長兵衛』『楼門五三桐』 秀吉ゆかりの博多座周辺散歩

六月博多座大歌舞伎も残すところあと2日!
千穐楽に向けてますます盛り上がっています。

本日は、小栗栖の長兵衛』『楼門五三桐にまつわる博多座周辺スポットをご紹介します。


どちらの演目も舞台は現在の京都府、明智光秀石川五右衛門博多と関係あったかしら、と思われるでしょうが…
今回のテーマは、’’豊臣秀吉’’です!


楼門五三桐では「真柴久吉」として登場。
小栗栖の長兵衛では秀吉本人は登場しませんが、光秀を竹やりで突いた者を探しに、秀吉の家臣がやってきますね。

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そんな秀吉を祀る豊国神社
全国各地にありますが、博多にもありますよ。


博多座からは5分程度、博多小学校の近くにあります。

この神社の創建は1887年と新しいですが、もともとここは秀吉に厚遇された博多の商人・神屋宗湛のお屋敷の跡地にあたります。

天正15年(1587)、秀吉は戦乱で荒廃した博多を復興させるべく、区画整理(町割り)や市、座の制定を行いました。
それが現在の博多の街づくりの基礎になっているのですが、その際、宗湛に広大な敷地と町役免除の特権を与えました。
感謝した宗湛は早くから秀吉をまつる祠を屋敷内に建てたそうです。

ご神体は町割りに使用した「六尺六寸の間杖」(ものさし)だったのですが、戦時中に焼失してしまいました。
そのレプリカは櫛田神社の宝物殿で見る事ができます。

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ちなみにこの宗湛、実は明智光秀とも関連が…!

天正10年(1582)6月1日、宗湛は織田信長の茶会に招かれて本能寺に滞在していました。
しかしその夜、夢に大黒さまがあらわれ、「すぐに京を離れよ」と告げます。
とりあえず博多へ向かっている途中、入ったのは明智光秀が本能寺で信長を討ったという知らせ。
無事に帰れたことに感謝した宗湛は、大黒像をつくって寄進しました。

その像があるのが呉服町にある本興寺



こちらが本堂。



こちらが大黒堂。
ふだんは閉まっていますが、毎年1月10日にお祭があり、商売繁盛を願って、多くの人々が参拝に訪れるそうです。

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ところで神屋宗湛は国内外の貿易で莫大な富を築いた人物です。

博多近辺は大陸への玄関口として、古くから発展してきました。
貿易港としてももちろんですが、平安時代には交易施設の「鴻臚館」が栄えました。
福岡城址近くに鴻臚館跡の展示館があり、遺構を見る事ができます。

そんな博多の海外交易の歴史を感じさせるが、博多座のすぐ近くにあります。



川に面した、ホテルオークラの一角にある鏡天満宮
その鳥居のふもとにあるのは…



渡唐口跡の碑

かつての海岸線はこのあたりだったようで、遣唐使の船が発着し、日宋貿易や日明貿易の拠点にもなりました。

そういえば『楼門五三桐』で、石川五右衛門は「大明国の宋蘇卿の遺児」という設定になっていましたが、宋蘇卿さん来日の際はこの博多を通って来たのでしょうか。
想像がふくらみますね。


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それぞれのスポットはどこも博多座から徒歩圏内。
ご観劇の前後にぜひ、のぞいてみてください。

豊国神社へのアクセスはこちら
本興寺へのアクセスはこちら
渡唐口へのアクセスはこちら

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